空室四号

ゲームコラム中心雑記ブログ

今だからこそまたゲームの話をしよう

おれには来るはずのない風を待っていた。いつまでもいつまでも。

色々考えることがあってサボってしまっていた。人間、初心にかえらなくてはならないときもある。

思い返せばおれは話せば長くなる話をわざわざするためにここでこうして文を書き始めたわけだ。

しかしそもそもおれが長々と語れるようなことは、このうんざりするほど長い人生の中で実は何一つありはしないのかもしれない。

おれの中のすべての物語は終わってしまう以前に始まることはなく、本はただ開かれることなく永遠に閉じられている。高価な額縁に飾られた素朴すぎる絵には哀れにも分厚い埃が積もっており、古ぼけた倉庫の中で来るはずのない観覧者を永久に待ち続けている。終わり。

世の中にはあらゆる分野において凄まじいほどの熱量を持った人間がいて、つまり、おれがだらだらとただ続けてきただけのビデオゲームだってそれは例外ではない。

馬鹿げたことかもしれないが、もしビデオゲームをプレイする姿勢みたいなものにある種の才能や努力があるとして、それがいったい何を意味するのかはわからないが、例えば一種の哲学や、視野や、熱量といった点で、おれはゲーマーとして確実に限界を感じているのだ。

限界とは? 力不足? 何の? 誰と比べて?

……いや、自分でも何を言いたいのかはよくわからない。しかし今ここにある感情として、ただただゲーマーとして「悔しい」し「歯痒い」し「もっとできるはずだ」と思っているのだ。驚くべきことに。

「ゲーマーとして」?

何だろう、それは。

 

一般的にはただ凡庸であることに価値があるとはあまり言わない

ところで、ビデオゲームの分野にも胸を張って語ることができる武勇伝というものが少なからず存在する。

あまりにも狭い世界の武勇伝であると思っていたのだが、今ではビデオゲーム業界自体がビッグバンよろしく急激に拡がり続けており、SNSでは、レトロゲームコレクターであるとか、対戦ゲームで強いチームを率いていたとか、ゲーセンではヒーローだったとか、まあとにかくそういう伝説的な人を目にする機会は多い。

そしてそういった人たちの生き生きとした動向を追うことはなかなか面白く、そしてまた追うからこそゲーマーとして歯痒い。

……そう、歯痒いのである。

では、おれは一流で、伝説的な、素晴らしい武勇伝を持つゲーマーに憧れているのか? いや、それはおそらく厳密に言うと違う。不思議と「あちら側」に行こう、行ってみたい、と思うことはほとんどない。

おれはおそらく、そういった人たちから何かしら不変の、人間的な、それこそ哲学や視野や熱量的なものを、あまりにも強烈に自分に還元したいと思っているだけなのかもしれない。

彼ら、彼女らからそういった「何か」を受け取り、応援し……それは、スポーツの分野であったり、芸術の分野であったり――そういったものに取り組む人たちやその作品に感応することとまったく変わりがないものだ。

そこにいる人間が紡ぐただ熱い情熱が、心を、魂を、これでもかと揺さぶり起こし、焦燥させるほど胸を焦がす。

何だ、これは、とは言ったものの、よく考えたらただ季節外れの熱中症だっただけかもしれない。

「ゲーマーとしての姿勢」は残念ながら凡庸、だがしかし、裏を返せばおれはビデオゲームにまだここまで熱くなれるのか!

ブロガーとしては凡庸どころか落第ですが、これからも熱に浮かされるままできる限りおれの目線で思ったことを書いていきたいです。よろしくね。