空室四号

ゲームコラム中心雑記ブログ

オープンワールドはなぜ「何をしていいかわからなくて苦痛」なのか

「背景に遠く見えるあの山にも登ってみたい」

RPGやアクションをやっていて、ゲームにのめり込むあまりそんなことを思ったことがある方も多いのではないだろうか。

そんな願いを叶えるゲームとして登場したのがオープンワールドゲームである。

 

定義としては実感として少し曖昧なところもあるのだが、一般的に「オープンワールド」という場合『グランドセフトオート』のような広大なマップをシームレスで移動することができるゲームを指すことが多い気がする。

10年ほど前から洋ゲーを中心に注目を集めはじめ、近年では『ファイナルファンタジー』『メタルギアソリッド』など和ゲーでも既存タイトルに取り入れるような形で増え始めている。

 

ゲーム業界ではレベルデザインの新たな手法としてとらえられており、それまでは「魔王を倒すためにとりあえず近所の街から解放していく」といったように大きな目的に向かってとりあえず目の前の目的を達成していくゲームが主流だったが、オープンワールドの導入によって広大なマップで自由に行動しながら各地で問題を解決していくようなゲームもデザインすることができるようになった。

こうしたゲームは現在流行りの新しい流れとは言えゲームクリエイターも新しいセンスを要求されているようで、思ったよりもオープンワールドをバッチリ落とし込んだシステムや世界観をひとつのゲームにすることは難しいようだ。

プレイヤーの楽しみ方をとってもそれは同じことのようで、ネットにおいて『グランドセフトオート』が「30分で何をしていいかわからなくなって飽きるゲーム」と揶揄されたように、オープンワールドゲームは馴染めない人も多いようである。

 

私はオープンワールドゲームと既存のゲームはサッカーと野球の違いのようなものだと考えている。

ゲームにおける「情報収集」「探索」「戦闘」といった活動がサッカーの試合のように流動的に行われていくのがオープンワールドゲームの大きな特徴で、広大なマップを歩く際にも常に次に何が起こるかわからない緊張感を持ち続けられるとワクワク感や楽しさに繋がっていく。

特にオープンワールドは「探索」がメインであり、むしろ自由な探索により世界観が広がっていくことを楽しむのがオープンワールドゲームの最大の楽しさであると言ってもいいと思う。

 

逆に既存のゲームは野球の試合のように今やること、確固とした小さな目的が常に決まっており、新しい村に入ったならばそれは「情報収集と新たな探索に向けたフラグ立て」の時間であるし、村長から洞窟の敵を倒すように頼まれたならそれは「探索と戦闘」の時間である。

特に既存のゲームは「情報収集」がメインであり、ヒーローである主人公にその都度与えられる目的をひとつひとつ乗り越えていく実感こそが最大の魅力である。

既存のゲームのRPGなどは戦闘においてもターン制であり、そこにおいても「何をするべきか」は常に狭い選択肢から与えられることになる。

 

自分にどちらが合うかはそれはもう好きなプレイの仕方によるとしか言いようがないと思う。

オープンワールドの探索が楽しめず、選択肢が多すぎると感じれば途端に移動すら苦痛になってしまうし、既存のゲームの目的が窮屈になれば与えられたストーリーなど苦痛になってしまう。

 

よくネットで行われる論争のように「なんでもかんでもオープンワールドにするべきではない」とも思わないし、「既存のゲームは自由度がなく窮屈すぎる」とも思わないが、システムと世界観を上手く落とし込んだデザインのゲームにしてもらうことがクリエイター、ユーザー双方にとって望ましい結果になることは確かである。