空室四号

ゲームコラム中心雑記ブログ

マイクラはなぜ子どもたちの間で流行ったのか

Minecraftというゲームがある。

箱庭世界を自由に歩き回り、まるでブロック遊びや砂場遊びをするような感覚で建築物や地形などをつくって遊ぶことができる非常に自由度が高いゲームである。

 

 スウェーデンの会社が開発したこのゲームは、老若男女を巻き込んで世界的ブームを巻き起こした。

このゲームひとつで莫大な利益を得た開発チームは、欧米では一種の「インディーズゲームドリーム」の象徴として扱われ、steamの成長と共にインディゲー市場が注目されるきっかけとなった。現在ではゲームとしての壁すら越え、日本も含めた世界各国で教材としても取り入れられている。

 

しかしゲームの楽しみかたは人それぞれあるが、こういったクラフティングやシミュレータ要素を扱ったゲームはわりとニッチな、本来「ブームになる」というよりも一定のファンがいる「手堅いが小規模な」市場だったはずであり、どうしてここまで爆発的に流行ったのかは正直私にはよくわからない。

前述のようにブロック遊びや砂場遊びといった子どもが好きそうな要素は確かにあるが、それでも「ゲーム」としてはかなり渋く、「好きな世界をつくって遊ぼう」というシンプルな目的も、一周回って入りづらいのではないか?

 

あなたは「ゲーム」を想像するときどんなゲームを思い描くだろうか。

『マリオ』のような横スクロールアクションだろうか。

ドラクエ』のような俯瞰視点のRPGだろうか。

多分私と同世代の、とくに普段あまりゲームをやらない人たちは十中八九この辺りをあげると思う。

しかしそれは、私のようなゲームをよくやる層も基本的には変わらないのだと思う。どんな新しいゲームに触れても、「私が時代と共に見てきたゲームの範疇」に縛られたまま、なかなか私自身がその概念を突き破ってはくれないのだ。だからこそマイクラを見て思う。「なぜこんな渋いゲームが子どもたちに流行ったのだろう?」と。

それは経験という名の一種の偏見である。

助けに行く姫はいなくていいの?

倒す魔王はいなくていいの?

もっと入り込みやすい目的やストーリーがなくていいの?

いいのである。おそらくは「なぜブームに?」と考える私の認識がすでに時代遅れなのだ。

時代には時代のゲームがあって、それがその時代最も熱心にゲームをプレイしているものたちの心を掴むのではないか。

 

もちろん、YouTuberや子ども向け番組での紹介などあらゆるビジネス的なアプローチに乗っかって流行ったということも言うまでもない事実だが、それこそまさに同時代性を象徴する部分であり、今まさに、難しいことを考えずに一生懸命夢中になることによってゲームとその周辺の世界を熱心に受け止めている層にしかわからないことなのだ。