読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

空室四号

感謝と贖罪

FPS攻略サイト「初心者のうちはスナイパーはやめておこう」じゃあ具体的にいつからやっていいの?

私がFPSというジャンルにハマってから約1年がたちました。まだまだ初心者ですが右も左もわからない超初心者という領域は卒業できたかのように思います。

ハマってからは上手くなりたくて動画を見たり攻略サイトを読んだりしていたわけですが、引っかかるのはどんなFPSのどんな攻略サイトでも語られる「初心者のうちはスナイパーはやめておこう」という言葉。

じゃあ具体的にいつからスナイパーに手を出していけばいいのでしょうか? 今回はこれについて語っていきたいと思います。

 

大抵の攻略サイトの「初心者のうちはスナイパーはやめておこう」という言葉には続きがあって、かわりにアサルトライフルサブマシンガンといった中近距離に優れた武器が勧められています。

これは非常に利にかなったアドバイスでして、オーソドックスな武器を選択することでゲームの大体のシステムやマップの理解が早まる狙いがあるのだと思います。

 

特に大抵のFPSは団体行動が重要になってくるので、中近距離の武器を持っているとどんなシチュエーションにおいてもフォローしたりフォローしてもらいやすい立ち回りができます。

BFシリーズにおいていえばアサルトライフルを持って仲間と共に目標に向かって行動するだけで、ゲームに慣れる頃にはある程度キル数やスコアも稼げるようになります(私の経験上)。

CoDシリーズは撃ち合いになるシチュエーションが多く、上手い立ち回りをした上でもさらに敵に撃ち勝つ能力を磨く必要が出てくるのですが、こちらもアサルトライフルを持っていれば無難に対応できます。

BFはその点『4』のように弾が抜けたり、『1』のように弾自体がバラついたりする仕様があるので、撃ち合いになったら運ゲーと思った方がいいように思います。

 

こうして中近距離の武器を使って「ゲームのシステムを理解した上でのオーソドックスな立ち回り」が馴染んでくると、次第にスコアも上がってくるわけですが、それでもどうしても成長の壁にぶつかるようになってくると思います。

具体的に言うと、デス数が減らないという現象が起きます(またしても私の経験上)。

キル数やスコアは劇的に上がる瞬間があったのに、デス数はなかなか減っていきません。

 

ここで遠距離武器を出していくのです。

スナイパーライフルやマークスマンやライトマシンガンといった遠距離武器を使うとまったく違った世界があることがわかると思います。まったく違ったマップの見え方、まったく違った立ち回り。

遠距離武器は前線から一歩退いたところで立ち回るので、デス数が増えにくいかわりにキル数やスコアも増えにくく、気づけばまったく活躍していない俗にいう「芋」になってしまいます。

しかし無理して攻めれば中近距離武器を持っているときよりデスしやすく、普段よりも一層索敵と安全な攻撃を重視した「押し引き」の意識が大事になってきます。

この「押し引き」の意識が後から中近距離武器に戻ったときに莫大な恩恵をもたらすのです(しつこいですが私の経験上)。

 

立ち回り上危険な場所というのが一層クリアに見えてきます。いつもなら突っ込んでいたシチュエーションも警戒するようになります。

このようにして中近距離武器と遠距離武器を噛み砕いて新しい立ち回りにつなげていくことによって、壁を乗り越えていけると思います。

私も今では新しい立ち回りを目指して毎日スナイパーでデスしまくっています(迷惑)!

新生活!「趣味はゲームです」とあなたは言えますか

新生活とは切っても切り離せないものである自己紹介。

年をとると趣味まで紹介するようなことは減っていくと思いますが、それでも普段のコミュニケーションの中でどうしても自分の趣味を紹介しなくてはならないシチュエーションは少なからずあるものです。

そこであなたは「趣味はゲームです」と言えますか?

おそらく年齢を重ねるたびになかなか難しくなっていくのではないでしょうか。

 

小さいころは特に考えもせずにみんなの前で「趣味はゲーム」と言っていたと思いますし、むしろそこから友達や話題が増えたりしていたと思いますが、やはり年齢を重ねるとなんとなく恥ずかしいと言いますか、引け目や居心地の悪さを感じてしまうものです。

社会人になって、周りが家族サービスや昇進への努力などでプライベートを切り詰めるようになると尚更かもしれません。

 

しかし本当に「ゲームは恥ずかしい趣味」なのでしょうか?

もちろん、ただ自分が愛する趣味なのですから、それが何であろうと他人に迷惑をかけない限りは気にする必要などないはずなのですが、どうしても「趣味はゲーム」が醸し出す「生産性の無さ」「ただの暇潰し」「ひとりで引きこもってのめり込んで暗い」といったイメージは拭いされません。

 

一方で、グルメや旅行といったレジャー系や、草野球やフットサルといったスポーツ系が世間一般では好まれることが多いものです。

「美味しいものを食べたい」「普段とは違ったことを経験したい」といった大抵の人が共感できる欲求や、「みんなで体を動かして楽しむ」といった心身ともに健康的なイメージがあるからなのかもしれません。

 

そもそも、ゲームを含め文化系の趣味というのはやはりどことなく内向きなイメージが強くなりがちなのかもしれません。

中でも読書や映画などの(真実であれ)「嘘臭さ」「置きにいった」イメージはもはや風評被害の領域とも言えるでしょう。

 

しかし文化系の趣味というのはどこか深層心理の領域で「やっぱりこれの良さは他人がどう言おうと俺が一番理解してるんだよなぁ」という部分が大きな興奮の支えになっていたりするものです。

ゲームに関してもそういったある種の優越感と世間一般の劣等感の中で楽しめている部分もあるのではないでしょうか。

 

ですから決して市民権を得たから良い、といったことでもないような気もします。

「自己紹介は上手くはぐらかすけど、それでもちょっとだけ世間にも理解してもらいたい」ぐらいの気持ちで楽しめたらゲームはそれでいいのではないでしょうか。

それでも、たまには外に出てみるのもいいかもしれませんね。

大作『ドラクエ11』は現代RPGでどういう立ち位置をしめすのか

現代のゲームキッズたちがどんなゲームを大作だと定義しているのかはわからないが、我々の世代のドラクエと言えば間違いなくFFと双璧を成す元祖大作RPGだった。

FFが毎回革新的なシステムを導入してくることに対し、ドラクエは保守的で古くから続くシステムを少しずつ進化させていくスタイルをとる。

 

4月11日に発売日の発表会が予定されている『11』にもその流れは引き継がれているようで、ストーリーやキャラクターに関しては従来通りオールドファンの心をくすぐるものになっている模様。

それとは逆に戦闘システムに関しては現代風に寄せてあるようで、PS4版は移動しながらのコマンドバトルになるということで今までよりは忙しくなるのではないかと思う。

特に同作『10』の戦闘はオンライン専用の作品ということもありコマンドバトルと言えども忙しく、それまでのドラクエの戦闘とはかなり異なるものだった。

もし『10』のような戦闘になるとするならば、仲間の行動やアクション面に関してオールドファンには少し不安の残るものになりそうである。だからこその従来通りの戦闘が楽しめる3DS版との両対応なのだろう。

 

しかししみじみと思うのだけれど、「おつかいからはじまって魔王を倒す」ような王道RPGは本当に少なくなった。求められてないから少なくなったのでは、と言われればそれまでなのだけれど、こうまで「たまにはそういうのもあっていいよね」ぐらいの地位に落ち着いてしまったのには少し驚く。

現代のRPGオープンワールドの作品が増えたせいか「おつかい」がメインで、ストーリーはどう転がってもいい、というのが主流だ。

やり込み要素はむしろ前面に押し出され、ストーリーの最初からやり込み部分に触れていくことができる。

 

しかしそもそもRPGというジャンルがテーブルトークRPGを元に作られたものとするならば、現代の形の方がそれに忠実であると言えなくもない。

プレイヤーが考える行動に従うまま、「今回は一体どんなお話になるのだろう?」と素材から紡ぎだされる自由度を楽しむ。

我々日本人が想像するRPGとはまさにドラクエといったような「魔王を倒す」コンピューターRPGだが、どうも『ウィッチャー』や『フォールアウト』など日本でも評価の高い洋ゲーRPGを見ると、目指しているものはそうした古くから親しまれてきたテーブルトークRPGに近いのではないかと思う。

FFは最新作の15でそれを混合するシステムをとったが、古いファン新規ファンの両者を心から納得させるものには残念ながらならなかったようだ。

 

こうした時代の流れの中、ドラクエの新作は一体どういった評価を得るのだろうか。

とりあえずは4月11日のイベントに期待したい。

和ゲーは終わった? 試される国際競争力

「和ゲーは終わった」

こういった言葉がネットコミュニティで囁かれるようになって久しいけれど、果たして本当に和ゲーは終わってしまったのだろうか?ところで「洋ゲー」と言われるのに「邦ゲー」じゃなくて「和ゲー」って言われるのは何でなんだろう(素朴な疑問)

 

「和ゲーは終わった」と言われるようになったきっかけは、単純に洋ゲーが続々と進出してきて競争を強いられているという背景からではないかと思う。今はグローバル社会、ゲーム業界も他の業界と同じなのだ。

もちろん、「家電はやっぱり日本製」「車はやっぱり日本車」といったように、和ゲーならではの良さというものもある。

しかしそれは映画界のそれに近く、「邦画ってアニメ映画は世界でも評判いいのだけれど……」というようなニッチな活躍にとどまってしまっているのも事実だ。

しかも海外製のアニメ映画が不調というわけではないように、ゲーム業界でも最近は『undertail』というような「和ゲーナイズド」された質の良い洋ゲーも登場するなど、結局は単純に国際的な競争に巻き込まれているというのが原因なのだ。

 

内需の方はと見てみると一応まだまだ健闘しているようにも見える。なんだかんだ洋ゲーはジャンルとしてもアクションやFPSばかりだし、主人公はゴリゴリのマッチョだったりするし、昔から和ゲーに親しんできた人には馴染めないものも多い。

でも気がかりなのは、内需だけでは結局パワーが足りないということ。

 

大作を作るにはお金と時間と創造力というパワーが必要なわけで、中でも特に重要なのはお金であって、お金がなければ人材に依存する残り二つも上手く回らない。

そしてとにかく日本のゲーム会社は海外に比べてお金がないのだ。

さらにソシャゲというあまりにも強力な内需があるのも手伝って、今まで日本がメインで世界と戦ってきたコンシューマ部門を縮小している会社も多い。高い海外人気を得ていた『メタルギアソリッド』シリーズ終了の悲劇はまさにここから生まれたと言ってもいい。

 

それでも『BIOHAZARD』や『ペルソナ』シリーズなど一部タイトルは国際競争力も高いし、ニンテンドーブランドもwii時代と比べると落ち着いたもののまだまだ健在で海外ファンも多いものの、むしろ好調と言えるのはそういった歴史あるタイトルだけで、新規ブランドがなかなかヒットしない現状はたしかに和ゲーは終わったとは言わないまでもジリ貧と言えなくもない。

 

思えば、日本ではファミコンを筆頭に当たり前に「子どものおもちゃ」として登場したビデオゲームだけれど、海外では子ども・ファミリーというターゲットはそれまでまともに市場ターゲットにされたことがなく、ニンテンドーセガが海外市場を総取りにしてきた歴史がある。

そういった海外の「ニンテンドーセガキッズ」 達が今こうして強力な競争相手としてあらわれた今、日本はソシャゲで「ゲームに無関心」な層を新しくターゲットにし始めたのは何とも日本らしいと言えば日本らしい。

日本のものづくりの宿命的な帰結とも言える「独自路線」はこの先のゲーム業界で成功を呼び込むだろうか。 是非期待したい。

 

……と、ここまで書いたら『ニーア オートマタ』がPC版を含め海外でも大ヒットだというニュースが目に入った。個人的にはまだまだコンシューマも盛り上がってほしいので嬉しい限り。

ハクスラファンにおすすめアプリ!これからはスマホの普及と共にハクスラが増えていく

お金、レベル、ステータス、そして長大なスキルツリー。難しいことを考えずに、ただただ敵を倒して徐々に強くなっていく快感を突き詰めたジャンルであるハクスラ

こう書いてしまうと大味で、わかりやすい面白さを持ったジャンルのように聞こえるが、シンプル故になかなか満足できるハクスラゲーには出会うことはできない。

 

まずひとつ大きな壁として、いかにその「作業」に飽きないかが大事であり、また「作業」そのものがストーリーやシステムにうまく馴染んでいなくては成り立たないジャンルなのだ。

RPGのレベル上げ」が好きな人と嫌いな人はわりときっぱり別れる要素であると思うのだが、ハクスラゲーとしてはそれこそがゲームとしての「本体」なのであり、とにかく戦闘そのものが格別に面白くなくてはダメなのだ。

エフェクトやSEが気持ちいい、など五感にうったえていくことは当然ながら、敵は強すぎても弱すぎてもいけないし、アクション要素といった技術介入度も、ありすぎるとそれはもはやプレーヤースキルを磨く要素がハクスラ要素を食ってしまうし、無さすぎたらそれこそ「RPGのレベル上げ」になってしまうわけだから、なかなかパワーバランスも難しい。

 

私はPS4の『ディアブロⅢ』やPSVITAの『ドラゴンズクラウン』などをそこそこやりこんだが、今でもたまにやりたくなるほど良くできたゲームだった。

やればやるだけ強くなれることを実感していくことが面白いジャンルなので、隙間時間でできる携帯機との相性が良く、凝ったストーリーも必要なくアイデア一本でイケるジャンルとして、これからはスマホゲーに続々と素晴らしいハクスラゲーが増えていくのではないかと思っている。

 

私が軽く検索して触った感じでも『オイハギノモリ』や『ひまつぶフロンティア』などは面白くてたまにやって時間を吸われてしまう。

上記のゲームで驚かされるのはほとんど個人によって作られたであろうゲームであること。ゲームエンジンの普及でPCやコンシューマでもインディゲーが注目を集めている今、アイデアと技術があれば個人でも素晴らしいゲームが作り出せる世の中になったのだ。

これでは余計に遊び尽くせない。ゲーマーとしては嬉しい悲鳴ではあるが……

 

マイクラはなぜ子どもたちの間で流行ったのか

Minecraftというゲームがある。

箱庭世界を自由に歩き回り、まるでブロック遊びや砂場遊びをするような感覚で建築物や地形などをつくって遊ぶことができる非常に自由度が高いゲームである。

 

 スウェーデンの会社が開発したこのゲームは、老若男女を巻き込んで世界的ブームを巻き起こした。

このゲームひとつで莫大な利益を得た開発チームは、欧米では一種の「インディーズゲームドリーム」の象徴として扱われ、steamの成長と共にインディゲー市場が注目されるきっかけとなった。現在ではゲームとしての壁すら越え、日本も含めた世界各国で教材としても取り入れられている。

 

しかしゲームの楽しみかたは人それぞれあるが、こういったクラフティングやシミュレータ要素を扱ったゲームはわりとニッチな、本来「ブームになる」というよりも一定のファンがいる「手堅いが小規模な」市場だったはずであり、どうしてここまで爆発的に流行ったのかは正直私にはよくわからない。

前述のようにブロック遊びや砂場遊びといった子どもが好きそうな要素は確かにあるが、それでも「ゲーム」としてはかなり渋く、「好きな世界をつくって遊ぼう」というシンプルな目的も、一周回って入りづらいのではないか?

 

あなたは「ゲーム」を想像するときどんなゲームを思い描くだろうか。

『マリオ』のような横スクロールアクションだろうか。

ドラクエ』のような俯瞰視点のRPGだろうか。

多分私と同世代の、とくに普段あまりゲームをやらない人たちは十中八九この辺りをあげると思う。

しかしそれは、私のようなゲームをよくやる層も基本的には変わらないのだと思う。どんな新しいゲームに触れても、「私が時代と共に見てきたゲームの範疇」に縛られたまま、なかなか私自身がその概念を突き破ってはくれないのだ。だからこそマイクラを見て思う。「なぜこんな渋いゲームが子どもたちに流行ったのだろう?」と。

それは経験という名の一種の偏見である。

助けに行く姫はいなくていいの?

倒す魔王はいなくていいの?

もっと入り込みやすい目的やストーリーがなくていいの?

いいのである。おそらくは「なぜブームに?」と考える私の認識がすでに時代遅れなのだ。

時代には時代のゲームがあって、それがその時代最も熱心にゲームをプレイしているものたちの心を掴むのではないか。

 

もちろん、YouTuberや子ども向け番組での紹介などあらゆるビジネス的なアプローチに乗っかって流行ったということも言うまでもない事実だが、それこそまさに同時代性を象徴する部分であり、今まさに、難しいことを考えずに一生懸命夢中になることによってゲームとその周辺の世界を熱心に受け止めている層にしかわからないことなのだ。

【長い】じゃあ『はじめの一歩』はどうすればよかったのか

煽るような記事タイトルで申し訳ない。一歩の熱心なファンの中にはきっとこのタイトルを見て怒っている人もいると思う。

しかし私も小学生のころから一歩を読み、今でも自室に100冊以上の単行本を並べ、未だほとんど一歩の為に毎週週間少年マガジンを買っている熱心な一歩ファンのひとりであると自負している。

そんな私に今日だけはどうか「一歩どう贔屓目に見ても長くね?」問題について語らせてほしい。

なお、ネタバレを含むので最近一歩を読みはじめた将来有望な一歩キッズの方はブラウザバックしてください。

 

さてまず、私が「一歩どう贔屓目に見ても長くね?」問題を語る上でひとつターニングポイントだと思っている試合について触れておきたい。

細かく見ていくと色々言いたいことはあるのだが、とりあえず結論、つまり私が導きだしたターニングポイントとなった試合を言ってしまうと、それは一歩 対 唐沢戦である。

それは何故なのか? 順を追って説明していこう。

 

まず序盤の山場だが、これは確実に一歩 対 千堂の日本タイトルマッチであると考えていいだろう。もはや日本タイトル獲得が序盤と言えてしまうところがヤバイといえばヤバイ。

伊達に敗れ、デンプシーロールを引っ提げて復帰した一歩。そしてついに日本タイトル再挑戦。それを受けて立つのはあのライバル千堂。読者として盛り上がらないわけがない。ファンの中でもベストバウトにあげられることが多い愛すべき一戦である。

そして激闘の末についに日本タイトルを手にする一歩。ここで作品としても一区切りがつく。

 

「ついにやった! 一度負けたけど、俺たちの一歩はやっぱり強かった!」

 

いじめられっ子だった一歩が努力につぐ努力の末ついに日本一強い男に。作品の主題である「強いってなんですか?」を少しだけわかった気になる我々読者。

しかし物語はここで終わらず、ここからは日本チャンピオン防衛編がスタートする。

 

ここからは「日本チャンピオン幕之内一歩」なだけあって、今までとは異なる防衛戦の緊張や、愛する後輩との戦いなど、「守るための強さ」「追われるものとしての立場」ということにスポットが当てられた戦いが続く。

一歩の不器用な戦術も研究されつくされ、そしてついに頼みのフィニッシュブロー、デンプシーロールまでもが沢村に完全攻略されてしまう。

それでもあらゆる犠牲を払った末、命からがら沢村には勝ったものの、ここで我々読者には不安が生じることとなる。

 

「いやまあ試合には勝ってるけど、苦戦が続きすぎ。デンプシーロールも破られちゃったし、日本チャンピオン幕之内一歩が強いのか弱いのかよくわからなくなってきた……」

 

そしてここで件の唐沢戦である。

唐沢戦では上記のような読者に対する明確なアンサーが提示される。そう、デンプシーロールを封印した上での圧勝である。

苦手なはずの技術に優れたアウトボクサーである唐沢に対し試合を完全にコントロールしてのKO、まさに圧巻の完封勝利である。この試合は主人公一歩の目線ではなく相手の目線によって進行し、一歩に黙々と追い詰められていく相手の心境が追体験できるという森川先生の粋な計らいが光る。余談ではあるが、私はこの試合こそ主人公幕之内一歩のベストバウトだと思っている。

 

そしてやはり個人的には、ここで(不安を残しながらも)東洋太平洋なり世界なりに舞台をひとつ上げておくべきだったのではないかと思っている。

 物語の主題である「強いってなんですか?」はおそらく精神的なものだろうし、一歩自身も日夜努力でその答えを見つけようと頑張っているけれど、そのためにはやはりまずここで技術的な舞台を上げて、また「挑戦者幕之内一歩」に戻ってもよかったのではないかと思う。

 

実際はこの後も日本チャンピオンとして一歩は居座り続け、ベテラン・武との試合や、当時現実世界でもタイムリーであったスポーツ八百長問題をめぐるゲドーとの試合、そして天才ウォーリーとの試合などが続くが、このあたりは題材としては面白いのだが如何せん「強いのか弱いのかわからないまままだ日本タイトルで消耗してるの?」的フラストレーションのたまる試合である。前述の通り技術的な舞台が上がっていたならば苦戦するのもわかるのだが……

 

特にウォーリー戦は、辛口な書き方になってしまうが、不自然なほど倒れない一歩に対して数回「触られた」だけで倒れるウォーリーという疑問の残る展開に。

その後の熱烈な一歩ファン・小島に至っては題材としても正直あまりひかれる試合ではなかったし、戦う前のやりとりとしても、2トン車をめぐる言葉と物理理論の致命的な誤りや、今まで一歩の弱点だった立ち回りへの「最強のワンパターン」発言など、このあたりは、まあ、なんというか、いち読者として絶望的なまでに濃い霧の中で狐につままれたような感覚だった。

そしてなによりこの小島に勝ってようやく世界である。マジかよ。

 

現在の、二度目の敗戦から復帰し新型デンプシーロールをひっさげて復活する展開を見ても、主人公に衝撃的な敗戦を味わわせて世界の強さをわからせるなら、それこそゴンザレスとかいうポッと出ではなく宮田の役回りでもよかっただろう。というか宮田も気づいたらくすぶってるな。

 

……いやでもしかし、しかしである。

正直最近の一歩は面白い。変なフォロー抜きで面白い。鷹村 対 バイソンでは「お?これは間違いなくボクシングだ!」という面白さを久しぶりに感じた(バカにしているわけではない、念のため)。

一歩の故障疑惑のイザコザは「え?」とは思ったものの、ストーリーは一歩・会長・鷹村というこの作品の最小単位を中心に(今までと比べて)テンポよく進み、今は本当に「ザ・ボクシング」的面白さがまたよみがえってきているように思う。

とにかく、ああだこうだ偉そうに言ったものの、私は『はじめの一歩』が大好きだ。今後は一層期待している(しつこいが変なフォロー抜きで)。