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空室四号

感謝と贖罪

モンハンはなぜ飽きないのか

いや、これだけ毎回同じようなゲーム性で出されたら正直飽きますよね、というのは前に書いた記事モンハンはなぜ飽きるのか - 空室四号の通り。

 

新シリーズが出ても結局はハチミツ集めて、鉱石集めて、虫集めて、御守りに悩まされて……というパターンをこなしていくのが結構リアルに思い浮かぶだけに、さすがにちょっと萎えてしまう。

 

それでも気まぐれでまたやっちゃったりするのは、結局は人なんだろうね。

これだけ長いシリーズになると、リアルにしろネットにしろモンハンで一緒に遊んで仲良くなったフレンドというのが少なからずいて、その繋がりに戻ってくる感覚でまたはじめてしまうっていうのがあるのかもしれない。
僕の友人の友人に至っては、モンハンでできた彼女とモンハンで別れたからもう一生モンハンはやらないらしいです。御愁傷様。

 

しかし現状あの頃一緒にやってたフレンドもほとんどはもう飽きてしまっていたりする。
ライトゲーマーのフレンドたちはいつも下位の最後のほうか上位に入った直後くらいで辞めちゃってたりして毎回残念に思ってたんだけど、今思ってみれば一応は毎回プレイしてくれていただけ良かったのかもしれない。


そして現在、今度は自分が道半ばで挫折しはじめている……

 

今度からはもう飽きたと思ったら無理せずそのあたりで辞めとくというのも選択肢のひとつなのかもしれない。
何にせよコミュニケーションは最大のエンドコンテンツということです。

若者は政治に無関心どころかもはや政治に疲弊しているように見える

政治はインターネットの一大コンテンツになった。

 

少し掲示板やSNSをのぞくだけでもあらゆるコミュニティで政治論争が交わされているし、ときにはいわゆる「ライン越え」の煽り合いへと発展している場合も少なくない。

 

昨今では選挙権年齢が引き下げられたこともあって、なにかというと若者の政治への無関心が叫ばれているが、こんな状況を見るに、SNSが必須の環境で暮らしている若者たちが政治に無関心でいられるはずがないように思う。
そしてそのようにして若いうちからコミュニティ内で起こった論争の熱狂に絡めとられるようにして政治に関心を抱いていくことは、冷静に考えてみるとかなり過激な体験ではないだろうか。

 

もちろん政治に関心をもつこと自体はいいことである。
しかし大抵ネットの政治論争というのは、語りたいか語りたくないかの意思は関係無く、どんなコミュニティにもすきま風のように入り込んでくるのだ。
そうやって実際に吹き込んだすきま風がしだいに強風へと変わり、やがては竜巻となって、コミュニティという家屋ごと破壊していくことはもはや日常茶飯事である。

実際のところ、我々が関わるほとんどのことに関して、政治的な側面をもって語ることができるわけだから、当然といえば当然だ。
学校教育、労働に結社はもちろん、スポーツやサブカルチャーだって政治的な側面をもつ。

 

今のSNSを通して若者を見ていると、本当に疲れないのかと心配になる。
「政治に無関心な若者」とか、若者は失笑してると思う。
ネットを深いところで活用している限り、いつも政治論争の中心にいるしかないのだ。

 

自分が属するコミュニティがどんな意見だって、好きなアーティストが何言ったって、自分の環境や思想に根差した政治観念をじっくり育てていくのが一番だと思います。

死を眼前に感じて生きるということ

私の2017年の目標は、もっと死を眼前に感じて生きるということです。

 

こんなことを言うと、自暴自棄になったかのように聞こえるかもしれません。しかし私が言いたいのは、自暴自棄とは少し違うニュアンスのことなのです。

 

今生きている人は皆、一万年後には確実に死んでいます。

しかしあなたが今健康であるならば、一歩一歩、一日一日と生は続いていく予感がするでしょう。そして実際に、続いていくのでしょう。

 

これは当たり前のことです。当たり前のことですが、そこに何かしらの意味を持たせるのはなかなか難しいことだと思います。

一万年後には死んでいるのに、明日は生きている予感がする。明日の積み重ねは一万年後なのにも関わらず。

つまりは、明確な終わりの線引きがないまま生きていかなくてはならないから難しいのです。我々が生きていくなかで、生の有限を感じる瞬間というのは思いの外少ないものなのかもしれません。

 

私はたまに、もし死後の世界があるのだとしたら、そこに持っていけるものはなんだろうと考えることがあります。

宗教的な祈りであるとか、哲学的な探求であるとか、それともやはり個人的な愛だとか絆だとか心の繋がりであるとか。ひょっとしたらお金かもしれない、とか。

でも、おそらくは何も持っていけないのでしょう。

 

それなら結局はどうでもいいような気もします。自暴自棄的な考えに結び付いてしまいます。一万年後どころか、百年後にはきっと生きていないのだから、どうでもいいのです。計り知れない虚しさを感じます。

 

しかし現実には自暴自棄的に生きるのも難しいものがあります。なぜならやはり、明日も明後日も、続いていく予感がするからです。

生活費を稼がねばなりません。自分や家族の目の前の不安を取り除かなければなりません。そしてそうやって必死に足掻いているうちに、きっとある日不意に生と死の境目を越えてしまうものなのです。

 

人間というのは、自己の死を前提に、何かを現世に遺すために生きているのかもしれないと私は強く思うことがあります。

それは子孫や大それたものや有用なものだけではなく、自己中心的な生きた証のようなものも含まれます。私がブログを書く理由でもあります。

 

いつ死ぬかなんて考えてもしょうがないという人もいるでしょうが、自分がいかに死ぬかということは、いかに生きるのかということでもあると思います。例えば明日死ぬとして、これでよかった、と言えるのか、ということです。

 

漠然と生の予感の中を生きるのではなく、昨日まで、そしておそらく明日も死ななかった者として、自分の人生の釈明をするために生きるというのが2017年の私の目標なのです。

そしてその釈明こそが、死後には持ってはいけないけれど、何かしら現世に遺せるものであり続けるのだと思います。

今年の紅白歌合戦と笑ってはいけないは歴代最高だ!

まず紅白歌合戦の目玉は初出場となるRADWIMPSだ。

 

彼らは今年大ヒットしたアニメ映画『君の名は。』の主題歌を歌うバンドグループである。

 

彼らのなんかバイク乗りながら飯食ってる人がいるジャケのアルバムを聞いたことがあるほどのスーパーマニアックな私として、ひとつ伝えておきたいミニ情報としては、「愛し」と書いて「かなし」と読むってこと。

 

さらにPS4版『fallout4』をさほどやりこむわけでもなく30時間ほどプレイしたスーパーマニアックなものとして伝えておきたいミニ情報としては、RADアウェイを使えばRADゲージを減らせるってこと。
大抵の食べ物は汚染されているのでRADゲージは増えてしまうのだが、わざわざ料理系のパークを身につけて焼いて食べる必要はない。基本的にはきれいな水でいい。

 

そして笑ってはいけないだ。これも期待できる。
最強の芸人ダウンタウンが出るし、同じく最強の芸人ココリコと山ちゃんもでる。他にも最強の芸能人たちが笑わせてくれる。

 

今回のテーマや舞台は実のところよくわからないが、最強の芸能人たちが君の腹筋が壊れるまで最強に笑わせてくれるだろう。

見所としてはまあ最初のバスのところとか、停留所とか。次の停留所に向かうバスの中とか。なんかそのへん。


さあ、今年も残るところあとわずかだ。歴代最高の番組たちが僕らを待っている。よいお年を

いよーしゃ年末紅白歌合戦!笑ってはいけないで笑っちゃって腹筋崩壊ww

世界が停滞している

 

年末年始の淀んだ空気が蔓延している!停滞した空気が俺を待ち伏せしているんだ。あーてすてす!

 

歌手が歌を歌ってその結果赤が勝とうが白が勝とうがどうでもいいじゃないかとか芸能人が笑ってはいけないところを見てなんになるのとかそんなこどもみたいな斜に構えかたをしたいわけじゃないんだよ。

今そんなことこどもだって言わないよ。だって楽しいじゃん。テレビ、楽しいじゃん。いや、楽しくないか。いや一周回って楽しいか。

 

去年末は、布団にくるまってガタガタ震えて過ごしたね。世界が停滞してるから。奴ら俺を待ち伏せてやがる。

 

みんな紅白。みんな笑ってはいけない。かと思えば出掛けてるし。旅行だぁ?世界が停滞してるよ。マジで。帰省?あ帰省?帰省ならいいです。


世界が待ち伏せしてるから、だから俺ぐらいは何かできることがあるんじゃないかってパソコンに向かって思うままに何か書いてたんだよ。

この辺が俺の怖いところなんだ。急に突飛もないことをやりだして、引かれる。怒られる。そのうち暴れだすんじゃないかと心配になるね。

 

でも停滞にのまれそうになるよりはましなんだ。

 

何を書いていたかというと、引きこもりの友達をひたすら探す、みたいなよくわからない妄想じゃなかったかな。
引きこもりになった友達のことを思い出すと不意にオンラインゲームに現れるんだよ。引きこもりの友達のアカウントが。

そんな世界が停滞してる都合がいい話があるわけないんだよ。


だからオチまで見えてしまって、書き終えて俺も停滞に巻き込まれていくことがわかったからガタガタ震えていたんだよ。

いい井戸を不断の努力で掘れないやつには新年どころか明日なんかないんだよ。カイジの班長みたいなことじゃないよ。いや、やっぱそうかもしれないな。まあどうでもいいです。よいお年を。

お約束とマンネリと「日常系」紅白歌合戦のススメ

「日常系」というアニメのジャンルがある。

 

その名の通り登場人物が普段の日常を過ごす様子を描いた作品であって、サスペンス要素がほとんどないかわりにキャラクターに関する何気ない事件や描写をひたすら掘り下げるという、ほっこりとした雰囲気のわりになかなかストイックなジャンルである。


原作は四コマ漫画であることが多く、展開としてもひとつのシーンがはじまると、ある種の軽いオチがついて次のシーンへと進む。

全体の流れとしてはレールを大きく外れるような展開は望まれないことが多く、最終回に合わせて山場をつくるためにシリアスな展開などが挟まれると「誰得のシリアス展開」というブーイングがとぶ。

 

こんな調子なので、見ている方は飽きないのだろうか、と心配になる。おそらく、実際飽きている層もかなりいると思う。
だがそれと同じくらい根強いファンもいるのがこのジャンルなのだ。

 

 

そして大晦日である。つまり何がいいたいのかというと、年末のこの時期のテレビは日常系アニメ的人気を目指せ、ということなのである。

 

タイトルには「紅白歌合戦」と書いたが、別に「笑ってはいけない」でもいい。
レギュラー放送のテレビ番組がどれもパッとしないと言われる昨今、普段テレビをほとんど見ない層を巻き込んで一番テレビが盛り上がるのはこの時期なのではないだろうか。
もはやテレビ業界は大晦日こそテレビ復権の大チャンスととらえるべきなのである。

 

それでも若い人はきっと友人や恋人とどこかに出かけた方が楽しいだろうし、もっと若い層はそれこそほんの数秒もテレビなんか見ないのかもしれない。
こういった層に対する啓蒙はなんだかんだ不可能に近い。

 

しかしだからといって、大晦日に腰を据えてじっくりテレビを見よう、という人もあまり聞いたことがない。
そもそも大晦日にテレビが主役であるような人は普段からテレビが主役だろうから、ただの平常運転であり、別に気にする必要もない。

 

結局はこどもを連れて田舎に帰って、居間でテレビを囲いながら一家団欒まったり話しながら過ごす夜の脇役にテレビを着けておく、という層が大晦日のテレビを支えるメイン層なのである。

つまりはこの層をターゲットにしていけばいいのだ。

 

「笑ってはいけない」はマンネリ化していると言われる中で、「紅白歌合戦」は攻めていると言われているあーもうめんどくせーからけつろんいいやよいお年を

モンハンはなぜ飽きるのか

なんでなんだろうね?

 

もちろんひとりのゲーマーとしてひとつのゲームに向き合うにあたって、飽きずにずーっとやってられるゲームなんてほとんどない。
大抵のゲームはいつか飽きる。

飽きないゲームに出会えたとしたら、それはゲーマーとして本望だ。
人生をかけてやりこんだらいい。

 

しかしモンハンていうゲームは明らかに異質な飽きかたをするんだよ。
「なんか最近全然やる気起きなくなっちゃったな」とかじゃない。飽きるっていうよりある日突然嫌になっちゃう。

 

でもせっかく装備作ったし。
友達にも手伝ってもらったし。
まだなんかやり残したことあるような気もするし。

 

じゃあとりあえずって電源つけてタイトル画面を通過するんだけどなんか鎧みたいなのを装備したおじさんが出てきた瞬間嫌になる。
ああ、やっぱキャラはおネエちゃんにしとけばよかったなぁ……なんてことなんかない。全然ない。一緒や、全部。なんなんだ。キャラの一挙手一投足を見るたびに嫌になる。

 

 

ゲームというのは当たり前にジャンルが多様化されている世界である。
時代によって流行り廃りはあるけれど、ソシャゲやブラゲも含めれば基本的に自分に合ったゲームを必ず見つけられるようになっている世界だ。
万が一好きなゲームがなかったら作ればいい。ゲームを作るゲームすらある。

 

そんな業界にも関わらず、モンハンというゲームは10年以上歴史を重ねた今でもとにかくプレイ人口が多く、幅広いユーザーの裾野を持った日本有数のゲームなのである。

 

オンラインの民度が問題になることもあるけれど、それはゲーム業界の未来を担うライト層やキッズ層がまだまだ残っている証拠だ。
むしろ民度とかをなんやかや言い出す人間が増えてくると大体コミュニティ自体が崩壊する。
長い目で見たらユーザー層がコアの方向に振れた瞬間もう終わりの始まりなのだ。

 

そうなると、なんとなく問題はシステムにあるような気がしてくる。

 

でもモンハンはそのシステムによって「狩りゲー」というジャンルを打ち立てた功績がある。
ポケモンが目新しいことをやって流行ったから、ポケモンぽい収集育成ゲームが続々と発売されたように、モンハンも続々と模倣された偉大なゲームなわけだ。

基本的には

 

モンスター倒す
素材を集める
素材で装備を作る
モンスター倒す
以下ループ

 

という流れになるわけだが、似たようなシステムを持つハクスラゲーと狩りゲーはどこか違う。

モンハンには「レベル」がなく、レベルに依存して「力」や「体力」が上がったりしない。
完全に装備と腕前依存の硬派な世界なのである。
「まあお目当ての素材は出なかったけどレベルが上がったからいっか」
みたいなことはない。全然ない。出なかったら一緒や、全部。

 

逆に言えば上手い人は最初からモンスターをどんどん倒していける。
しかし極端なことを言えば、最初のモンスターを倒せる腕すらなければ一生そのままだ。さらに倒したところで素材が出なければ装備も一生そのままだ。一生や、全部。

 

多分新しいモンスターや素材へのワクワク感が賽の出目によって徒労に変わる瞬間がモンハンの異質な飽きかたの要因なんだろうな。

変化のないゲーム性にもさすがに10年以上たてば飽きてくるのかもしれない。

 

それでもリアルマネーで装備が買えるソシャゲが流行る時代に、素材集めに何時間も使わせるような硬派なゲームが未だユーザーを確保し続けているという事実は嫌味じゃなく感嘆に値することではある。