空室四号

ゲームコラム中心雑記ブログ

ドラクエ11、ターン制バトル確定で広がる賛否の波紋

今さらな話題ではあるが、ドラクエ11の戦闘システムがシンボルエンカウントからのターン制バトルに確定したようである。

オンライン専用化を筆頭にドラクエシリーズとして革新的な試みをふんだんに取り入れた『10』のあとの作品ということで、『11』はどうなるものかと注目を集めていたが、やはり「これぞドラクエ」というような、古くからのドラクエファンが安心して楽しめる作品を目指したようだ。

しかしそのターン制バトルをめぐって、ファン以外のゲーマーからは賛否両論色々あるようである。

 

シンボルエンカウントからのターン制バトルということで、いくつかのゲーム系メディアでは「今どき珍しいターン制バトル」という言葉を使って紹介されていた。まあ、その通りではある。

珍しい、とは言われるものの、ポケモンもシリーズを通してターン制バトルを貫きその人気を変わらず維持しているし、まだまだ携帯機のJRPGを強く意識した作品などでもターン制RPGはよく見られる。

しかしたしかに目新しさという面では一切の魅力はなく、言葉は悪いが手垢がつきまくっているシステムである感は否めない。

さらにPS4版などは技術的にも「持て余している」感はある。今はハードの性能を活かしたド派手なアクションやシューティングが多く、今現在もっとも熱心にゲームをプレイしている年齢層もそういったゲームにアイデンティティを持っている世代ではないだろうか(そういった若い感性に向けてきちんと『ヒーローズ』や『ビルダーズ』といったタイトルも発表しているところはブランドの強さではあるが)。

 

そう、ターン制バトルとは、現代ではもはや「あえての」ターン制バトルなのである。

私はクリエイターの立場はよく分からないが、戦闘にアクション要素が全く絡まないというのもまたレベルデザインが難しいような気もする。いや、難しいというよりも、一種の失われかけている職人芸やオーパーツのようなものなのではないかと。

 

この点を見るに、私はドラクエというブランドは『11』において今まで積み重ねて手にしてきた「誰もが楽しめる国民的大作」という冠を自ら脱ぎ捨て、純粋にファンのための作品に仕上げてきたのではないかと思っている。

もちろん、その裏返しの意味としてドラクエの熱心なファン層自体が現代の主要なゲーマー層のボリュームゾーンとズレてしまったということもある。昨年2016年がドラクエ生誕30周年である。我々も歳をとったのだ。

ネットでは堀井×鳥山×すぎやまトリオで作られる最後のドラクエになるかもしれない、という縁起でもない話も囁かれている。ドラクエ制作陣も当然歳をとる。

 

それでも、私はドラクエ11が単なる「おっさんホイホイ」という評価のゲームで終わってほしくはないと思っている。

昨今の和ゲー大型IPが元気がないのは事実だが、囁かれる「和ゲーは終わった」の風潮をドラクエは是非覆してほしい。

かくいう私も最近はJRPGどころか一人用のオフラインゲームから退いていたが、ドラクエ11は純粋なファンとしての期待半分と、「JRPGを買うのはこれが最後、好きだったドラクエよ、俺に引導を渡してくれ」というひねた感情半分で買ってみようかと思っている。

ゲームをやめたい……「やりたくないのにやってしまう」謎の義務感について

趣味としてゲームに向き合う上で、ゲームを「別段やりたくないのにやってしまう」ということがたまにある。

……いや、ない人はないのかもしれない。

でもネットなどを見ている限りそういった悩みはわりとよく聞く話だ。

 

ただの趣味として取り組むゲームなのだから、単純にやりたくないときはやらなければいいのに、日常においてこういった「義務感」が起こってしまうのは一体どういったことなのだろうか。

私が思うに、この「ゲームに対する謎の義務感」というものには大きくわけてふたつのものがあると思っている。

 

ひとつは根本的なもので、もうゲームには趣味としてほとんど飽きているにも関わらず、日常生活の中で他に特にやることもないので「何もやらないよりはマシだろう」とゲームをやってしまうパターンだ。

他にも、勉強や仕事や家事など優先的にやることがあるにも関わらず、それに向かう気力がないときに罪悪感を感じながらも気分転換と言い聞かせて無理にやってしまうパターンなどもある(本当に気分転換になっている場合はもちろん別だ)。

 

……この問題はもう、なんとも言えない。

ゲーム以外の本当に楽しいと思える趣味を見つけたり、気力を振り絞って本業に取り組むのが一番なのだが、それはゲームというよりも日常の問題なのであって、個人個人に色々な想いがある。

これはわりと小さいうちから時間があればゲームに打ち込んできた人に有りがちなパターンだと思うのだが、もう何十年も続けていることなのだからどうしても飽きてくるのは仕方ない。

ゲームをしないで「もう飽きた」「ゆっくりボーッとして休む」と言い聞かせて一度本当に何もしない時間と向き合ってみるのもいいと思われる。案外そういった時間から何かが見つかるかもしれない。

私は思ったことはないのだが、世の中には本当に「何もしない」時間が怖い人がたくさんいるのだ。後述の考え方も少しは役に立つかもしれない。

 

もうひとつはゲーム自体にはそれなりに前向きに取り組めてはいるものの、どこか義務的なプレイをしてしまうパターンだ。

大作RPGなどをプレイするときに、「このシリーズは続き物だから前作からやらないと」といって最新作をとりあえず置いといて中古で買ってきた前作から渋々プレイしたり、プレイしたらしたで「取り逃しが怖いから」と攻略サイトなどにべったりと張り付き、まるでプラモデルを組み立てているような感覚で逐一ミスがないか確かめながらプレイしてしまう。

私はこのパターンに陥りがちであり、一度は本当にゲームを辞めた。もちろんこういったプレイが好きでやる人もいるわけだが、私は徐々にゲーム自体への熱が冷めていった。

 

さらに対策として私の例をあげれば、結局これを救ったのはオンライン対戦ゲームだった。

オンライン対戦ゲームは良くも悪くも正解がなく、勝てばいい。もちろん勝つのは難しいのだが、そういう時はお得意の攻略サイトを見ればいい。それでも結果が出ないことも多く、スポーツ的な感覚というか、ゲームそのものへの向き合い方が変わる。

 

私は格ゲーから入ったのだが、格ゲーはその「スポーツ的な」要素がかなり強いように思う。さらに格ゲーはオンライン対戦といっても一対一の勝負なので、オンラインに抵抗がある人も入って行きやすいと思う(オンラインゲームで一番怖いのは味方だ)。

格ゲーは攻略サイトを見て仕様を知れば知るほどたしかに強くなるのだが、相手ももちろん仕様をチェックしているし、そうなるとレバーやボタンの入力制度や反射神経を鍛える「練習」をしなくてはいけない。

私は結局この「練習」が楽しくなくて格ゲーを投げ出してしまったのだが、その後に行き着いたFPSは長くプレイできている。

FPSにもBot打ちやAIM合わせといった「練習」はあるのだが、こちらは実戦でもなんとかなることが多く、今のところ楽しく打ち込めている。

 

しかしこういった「練習」や、FPSのようなチームで取り組むゲームになると、今度は「腕を落としたくない」「コミュニティに参加せず嫌われていくのが嫌だ」というような義務感を生む。

そうなったらまた、大作RPGシミュレーションゲームのようなひとりで楽しむゲームに戻ればいいのである。

……こう書くと、ある意味ではゲームそのものに飽きてきた人のほうがわりと軽症な気もする。ゲームは人生を壊さない程度に取り組むのが一番。

 

とにかくどんな理由にせよ、ゲームに飽きてきたらあなたの中で一旦ゲームを「終わらせてしまう」のが一番だと思う。

「ゲームは辞めた」としても、またやりたくなったら戻ればいい。売ってしまっても買い戻せばいいのだ。とにかくゲームをやって嫌な気分になるのなら、遠慮せず辞めてしまえばいい。

 

個人個人、好きなことへの向き合い方は色々ある。いつかはそんなことも書いていきたいです。

【悩み】ネットのゆるいつながりみたいなのってうらやましい

ネットコミュニティに身を落とす上でありのままに正直でいることはとても難しいように思う。

 

私はこうしてゲーマーという看板をかけてネットに身を落としているわけだが、正直とてつもなくゲームに生活を捧げているわけでもないし、とてつもなく高いスキルを持っているわけでもない。

趣味といえば当たり前に小説や漫画だって読むし、音楽だって聴く。専門科目として学んできたことや普段の生活に思うことだってある。

ではなぜゲーマーという看板をかけているのか? それは単にゲームや小説や漫画や音楽の中で一番熱量が高い趣味を選んで自分自身にかけた看板にすぎないのだ。

 

ゲーマーと言っておけば、同じくゲーマーの人は大体相手がどんな人種かわかっているだろうし、プレイしているゲームからも話題が拡がりやすい。自分自身もそこそこ「語れる」。

ネットコミュニティにおいてそういった人格を自分に与えてあげることは多分けっこう大事だったりする。

しかしそれでもなかなかネットコミュニティの輪に入っていくことは難しいように思う。

 

ネットでは政治や芸能といったみんなが認知している強い情報が毎日ものすごい量流れてきて、もちろん自分もそれについて思うことはあるわけだけど、いちいち正直な意見をのべていくことは普通のことのようにも思うし危険なことのようにも思う。

なぜならネットには当たり前に色々な人間がいるわけで、明確な自分の立ち位置を示すことは仲間を増やすとともに敵をつくる行為でもあるからだ。

イムリーなところで加計学園の問題やAKB総選挙結婚発表問題などがあるわけだが、それに関して擁護・反対・どうでもいいという立場を明確にすることは何だかとてつもない流れに入っていくようなことのように思える。しかしそれがネットを楽しむ本来の振る舞いのような気もするのだ。

 

何かしら自分という人間を広く認めてもらいたいのか? と問われれば、全くのノー、と言うのは嘘になる。しかしそういった考えは危険だ。ことネットにおいてその欲求を拡げていくと際限がない。

自分を下手に大きく見せて仲間や敵を増やしていくことよりも、「この話題は入っていくのヤベェんじゃねぇか」と恐怖に身を任せたほうが楽な気もする。

 

では現実の世界で名刺などを配って目の前の人間ありきの対話でもしていけばいいのではないか、とも思うわけだが、それはもう不思議なことになかなか現実的ではない。

今の時代現実で会う人もほとんど何かしらの形でネットに身を落としているし、もちろんネットで認知してから現実で会うこともあるわけで、今の時代結局のところ入口が違うだけで人間本来の動物的な印象によるギャップだけが残るという可能性は良くも悪くも否定はできない。

私自身前述のとおり何かしら趣味関連の後ろ楯や仕事があるわけでもないし、そもそもただの看板にも偽りありの何にかんしても中途半端なおじさんだし、第一に人間としての印象にまったく自信がない。

現実でのコミュニケーションは苦労のわりに総スカンに終わる可能性が大きいのだ。「なんかネットでも冴えないやつだと思ったら本人も冴えないやつだったな」というわけである。

 

ここまで読んでいただいて「なんだこいつただ友達つくりたいのか?」と問われれば、それはもうイエスである。友達というか、ただ「好きなことに関するゆるいつながり」みたいなものが欲しいのだ。

ことゲームに関して言えば、ある程度歳がいってしまうと周りはみんな辞めてしまうのはもちろん、続けていてもわりと「隠してしまう」趣味なので、圧倒的にネットのつながりのほうが強い。

はずなのだが……なかなか上手くいかないものですね。

 

なんか毎日適当なこと言って、「来るものは拒まず、去るものは追わず」みたいにどどんと構えられればいいし、楽なわけですが、前述のように「大きな流れ」に入っていく勇気がないものにとって結局のところみんながゆるく楽しめる暇つぶし系成果物をつくっていくことは大事なんじゃないかと。

だからこうしてゲームのブログを書くわけです。動画でも撮るか。うーむ。

 

『CoD:WWⅡ』マルチプレイ動画が続々と公開!FPS初心者目線からの感想

FPS歴1年だけど初心者っていつまで自称していいんだろう。

……と、私事はどうでもいいとして、今YouTubeには今秋発売する『CoD:WWⅡ』の動画が続々とアップされている。

見た感じの率直な印象として「とても面白そう」。 

……このままでは初心者どころか小学生並の感想なわけだが、動画の雰囲気から感じる率直な印象というのはけっこう大事だったりする。泥臭さ溢れる戦場の雰囲気がとてもいい。みんな大好きM1ガーランドも現役だ。

 

システムや流れはたしかによくよく見てみるといつものCoDではあるのだが、ブーストや壁走りというアクションは当たり前にないので、「角からぴょーんしてエイム力でゴリ押し!」みたいなことはなく、立ち回りが重要になっている。

その分投てき武器やスナイパーは強力なイメージ。ミニマップも策敵しやすくなっているようで、サプレッサーを付けても物理的な音は大きめに出ているようだ。

 

心配されていたスピード感も問題なく、けっこう速い。こればかりはマップの出来にもよりそうだが、見ている限りのマップでは普通に速い。どうやらライフが少なめになっているということも関係ありそうだ。

スコアストリークも策敵やケアパケ、空中からの範囲攻撃などいつものCoD的スコアストリークだが、WWⅡの雰囲気を感じさせる泥臭さは抜群。デカイAIロボットが走り回ったりはおそらくしないだろう。

 

毎年のように新作リーク、御披露目、ベータ、発売と続くお祭り的盛り上がり(あるいは盛り下がり)自体が名物となっているCoD

近作は「みんなと一緒に文句言いたいからとりあえず買う」という人も多かったが(それはそれですごいことだ)、iwは如実に売上も落ちていただけに、WWⅡの出来映えはCoDファンもとりあえずひと安心といったところではないだろうか。私も買います。

オープンワールドはなぜ「何をしていいかわからなくて苦痛」なのか

「背景に遠く見えるあの山にも登ってみたい」

RPGやアクションをやっていて、ゲームにのめり込むあまりそんなことを思ったことがある方も多いのではないだろうか。

そんな願いを叶えるゲームとして登場したのがオープンワールドゲームである。

 

定義としては実感として少し曖昧なところもあるのだが、一般的に「オープンワールド」という場合『グランドセフトオート』のような広大なマップをシームレスで移動することができるゲームを指すことが多い気がする。

10年ほど前から洋ゲーを中心に注目を集めはじめ、近年では『ファイナルファンタジー』『メタルギアソリッド』など和ゲーでも既存タイトルに取り入れるような形で増え始めている。

 

ゲーム業界ではレベルデザインの新たな手法としてとらえられており、それまでは「魔王を倒すためにとりあえず近所の街から解放していく」といったように大きな目的に向かってとりあえず目の前の目的を達成していくゲームが主流だったが、オープンワールドの導入によって広大なマップで自由に行動しながら各地で問題を解決していくようなゲームもデザインすることができるようになった。

こうしたゲームは現在流行りの新しい流れとは言えゲームクリエイターも新しいセンスを要求されているようで、思ったよりもオープンワールドをバッチリ落とし込んだシステムや世界観をひとつのゲームにすることは難しいようだ。

プレイヤーの楽しみ方をとってもそれは同じことのようで、ネットにおいて『グランドセフトオート』が「30分で何をしていいかわからなくなって飽きるゲーム」と揶揄されたように、オープンワールドゲームは馴染めない人も多いようである。

 

私はオープンワールドゲームと既存のゲームはサッカーと野球の違いのようなものだと考えている。

ゲームにおける「情報収集」「探索」「戦闘」といった活動がサッカーの試合のように流動的に行われていくのがオープンワールドゲームの大きな特徴で、広大なマップを歩く際にも常に次に何が起こるかわからない緊張感を持ち続けられるとワクワク感や楽しさに繋がっていく。

特にオープンワールドは「探索」がメインであり、むしろ自由な探索により世界観が広がっていくことを楽しむのがオープンワールドゲームの最大の楽しさであると言ってもいいと思う。

 

逆に既存のゲームは野球の試合のように今やること、確固とした小さな目的が常に決まっており、新しい村に入ったならばそれは「情報収集と新たな探索に向けたフラグ立て」の時間であるし、村長から洞窟の敵を倒すように頼まれたならそれは「探索と戦闘」の時間である。

特に既存のゲームは「情報収集」がメインであり、ヒーローである主人公にその都度与えられる目的をひとつひとつ乗り越えていく実感こそが最大の魅力である。

既存のゲームのRPGなどは戦闘においてもターン制であり、そこにおいても「何をするべきか」は常に狭い選択肢から与えられることになる。

 

自分にどちらが合うかはそれはもう好きなプレイの仕方によるとしか言いようがないと思う。

オープンワールドの探索が楽しめず、選択肢が多すぎると感じれば途端に移動すら苦痛になってしまうし、既存のゲームの目的が窮屈になれば与えられたストーリーなど苦痛になってしまう。

 

よくネットで行われる論争のように「なんでもかんでもオープンワールドにするべきではない」とも思わないし、「既存のゲームは自由度がなく窮屈すぎる」とも思わないが、システムと世界観を上手く落とし込んだデザインのゲームにしてもらうことがクリエイター、ユーザー双方にとって望ましい結果になることは確かである。

 

『モンスターファーム』ってどうなった? ひっそりと終了したシリーズからブランド維持の難しさを知る

モンスターファーム』というゲームがある。いや、「あった」というべきだろうか。

発売当時爆発的に流行ったソフトで、その後何本もシリーズや関連作が発売されていたはずなのだが近年その名前を見ることは滅法なくなってしまった。

ゲームをあまりやらなかった方でも、「そういえば最近聞かないけど一体どうなっちゃったのかな?」と思った方も多いのではないだろうか。

 

モンスターファーム』は手持ちのCDを読み込ませることでゲーム内にモンスターを生み出すことができるシステムを看板に掲げ登場し、「画期的なシステム!モンスター!育成!収集!今をときめく歌姫あみ~ゴがCMに!」と当時の時流を完璧におさえたまさに「モンスター」タイトルだった。

その盛り上がりは続編『モンスターファーム2』にて最高潮に達し、ゲームシステムや世界観の成熟はもちろんアニメ化等のメディア展開も行われ、急速にファンを増やしていった。

その後もアニメ化によって獲得したキッズファンを意識してかカードゲームや任天堂携帯機でもソフトを展開、本流のコンシューマーでもPS2にプラットフォームを移していくのだが……この辺りからユーザーたちは「ナニカチガウ」と困惑し雲行きが怪しくなる。

 

どんなゲームシリーズにも共通する話なのだが、シリーズが成熟しユーザーもついてくるとシステムや世界観のいじり方が圧倒的に難しくなるものである。

「新作を開発するにあたり旧作から何を捨て新たに何を取り入れるのか?」

キャラクターの造形の変更、ゲームシステムの調整、廃止、導入、難易度のバランス……単純な話であるがそのひとつひとつに莫大なユーザー数の増減がかかっているのである。ゲームシリーズ共通の話と書いたがこれはどんなものの商品開発においても共通の話かもしれない。全力を傾けた旧作をそれを上回る力で改良していかなくてはならないのである。

 

何にせよ、『モンスターファーム』は莫大に存在したはずのユーザーから忘れられるようにひっそりと消えた。

アクションを取り入れたり、RPGを取り入れたり、モバイルアプリやオンラインゲームに参入したものの当たらなかったようだ。

「またこういうゲームやりたいなぁ、続編が待ち遠しいなぁ」という熱意ある期待に答えていくのはとてつもなく難しいのである。

 

現在のゲーム業界を見てみるとゲームIPの維持というのはさらに厳しく難しい問題となっている。正直大型ゲームIPまでその地盤がぐらつき始めていると感じることすらある。何度か本ブログでも書いているが『メタルギア』の突然の終了は本当に残念だった。

システムやバランスや不具合の問題がアップデートによって解決できるのはゲームの良いところではあるのだが、資金の問題はどうにもならない。

ゲームはひとつの作品だが、当たり前に商品でもある。シリーズ維持に予算がさかれなくなったとき、そのブランドは終了せざるを得ないのだ。

『オーバーウォッチ』一周年、今後もeスポーツ業界を押し広げ続ける作品となるか

2016年5月24日に発売されたアクション・シューティングゲームオーバーウォッチ』が発売一周年を迎えた。

公式ジャンルとしては「アクション・シューティング」となっているものの、その実MOBA要素のある少人数制のFPSで、仲間同士の協力が最重要なゲームとなっている。

発売前からFPSの泥臭いイメージを払拭するキャッチーなキャラクターと、まるでヒーローもののアメコミのような世界観から従来のジャンルファンを越えて大きな注目を集めていた。

 

また『オーバーウォッチ』は新しい形のeスポーツ展開にも力を入れており、そのひとつの形として従来のeスポーツのようなチーム・スポンサー単位の試合を飛び越えた、プロアマ含め世界中の地域を主眼においたリーグ「オーバーウォッチリーグ」の開催を2017年に予定している。

一部ではその市場規模は1億から7億ドルにものぼると見られており、もし予想どおりの成功をおさめたならばeスポーツビジネスとしても未開の領域に突入することとなる。

 

eスポーツ後進国の日本でも『オーバーウォッチ』で実力を認められプロゲーマーになったプレイヤーが多数存在しており、それだけスポンサーからの期待も大きいタイトルだと言える。

eスポーツ業界は現在世界的に見ても成長を続けている業界なだけに、その期待を支えることができるゲームタイトルやゲームメーカーの存在は必須であり、『オーバーウォッチ』とブリザードはそのリーダーとしていち早く名乗りをあげた形だ。

 

私もたまに『オーバーウォッチ』をプレイしているが、発売から一年経ったゲームとは思えないほどコア層・ライト層双方の人口を維持しているゲームだと感じる。

コア層のランクマッチなどは正直シリアスになりすぎている部分も感じるが、コア層を維持するということはそもそも「そういうこと」なので仕方ない。

一方でキャラクターの新スキン配信やストーリーや世界観を掘り下げたようなイベント、また無料体験版の配信などといったライト層を取り込むアクションを頻繁に行っていることには好感が持てる。

 

もともとブリザードというメーカー自体一本のソフトを大事に育てていくメーカーなだけに、細かい批判はあるもののその特性を今のところ全力でぶつけているように見える。

オーバーウォッチ』はこのままゲームファンに新しいゲームのエンターテイメントの形を見せてくれるのか。

とりあえずは2017年「オーバーウォッチリーグ元年」に期待したい。