空室四号

ゲームコラム中心雑記ブログ

モンハンワールド・ベータ 感想!

アクションゲームとしてはびっくりするほどいつものモンハン

良くも悪くも、わりといつものモンハンである。

マップがシームレスになったり、キャラクターがフルボイスで人語を話したり、マルチプレイの環境が整備されたり、「導蟲」の存在、そしてモンスター同士の激しい戦闘などが『ワールド』の目玉として大々的に発表されていたが、まあ、個人的にはけっこう「いつものモンハン」といった印象である。

その理由としては、上記のようにシステム的には非ナンバリングタイトルらしく従来になかった面白いアプローチがなされているのだが、アクションゲームとしてプレイヤーが担うキャラ操作の本質的な部分は正直既存の作品のマイナーチェンジの域であり、やや物足りない印象だったからだ。

マップがシームレスになったと言っても、『ワールド』はモンスターの発見・未発見によって戦闘パートと探索パートが如実に分かれている仕様であり、モンスターの行動ルーチンを見ても、ある程度戦ったらあからさまにエリアチェンジをしてくる面などは変わらない。

よって従来のように「逃げるモンスターを追って倒す」感覚も変わらない。モンスターのエリアチェンジは多めだが、あまりストレスを感じないのはシームレスのいい点だと思う。

ハンターのアクションは、個人的には『クロス』のスタイルや狩技が馴染まなかっただけに、今回のシンプルなアクションは嬉しい……が、高望みするならばもう少し変化があっても良かったと思う。でもボウガンはとても楽しいです。

 

グラフィックはとてもキレイ、UIは好みが分かれるかも

縄張り争いや捕食行為、モンスターが弱肉強食の世界に生きているという感触。

「モンハンにもっと生態ドキュメンタリー映画のような演出を!」という声は、昔から一部ファンの間で強く望まれていたことであった。

『ワールド』はベータを少しプレイしただけでもこういった声にかなり応えてくれていることが実感できる。そしてそういった演出をグラフィックの鮮やかさがよりいっそう引き立てている。

しかしそのグラフィックも画面の明暗の設定をキチンとしなければ若干の眩しさを感じるかもしれない。

慣れもあるのかもしれないが、とにかくゴチャっとしていて情報量が多い。スタイリッシュになったUIも相まって、細々とした情報が画面いっぱいに広がっているように感じる。この辺りは好みが分かれるところかもしれない。

 

まとめ

心配されていた、いわゆる「コレジャナイ感」についてはプレイしてみるとさほど感じない。

「コレジャナイ感」については『4』で本格的なストーリーが導入されたときもコミュニティ内で議論が起こっていたが、そのあたりをさほど気にしなかった人ならすぐ馴染むと思う。

なぜなら前述のとおり、モンスターやハンターの挙動、操作等はとても馴染みがあるいつもの『モンハン』だからだ。あるいは「いつもと違った雰囲気でも挙動や操作が従来のモンハンの世界に引き戻しにくる」と言ってしまうと少し意地が悪いだろうか。

私のように従来のモンハンから脱却したいい意味での「コレジャナイ感」を求めていた人は少し肩透かしをくらうかもしれない。

私としては購入はもう少し考えてから決めようと思います。

今だからこそまたゲームの話をしよう

おれには来るはずのない風を待っていた。いつまでもいつまでも。

色々考えることがあってサボってしまっていた。人間、初心にかえらなくてはならないときもある。

思い返せばおれは話せば長くなる話をわざわざするためにここでこうして文を書き始めたわけだ。

しかしそもそもおれが長々と語れるようなことは、このうんざりするほど長い人生の中で実は何一つありはしないのかもしれない。

おれの中のすべての物語は終わってしまう以前に始まることはなく、本はただ開かれることなく永遠に閉じられている。高価な額縁に飾られた素朴すぎる絵には哀れにも分厚い埃が積もっており、古ぼけた倉庫の中で来るはずのない観覧者を永久に待ち続けている。終わり。

世の中にはあらゆる分野において凄まじいほどの熱量を持った人間がいて、つまり、おれがだらだらとただ続けてきただけのビデオゲームだってそれは例外ではない。

馬鹿げたことかもしれないが、もしビデオゲームをプレイする姿勢みたいなものにある種の才能や努力があるとして、それがいったい何を意味するのかはわからないが、例えば一種の哲学や、視野や、熱量といった点で、おれはゲーマーとして確実に限界を感じているのだ。

限界とは? 力不足? 何の? 誰と比べて?

……いや、自分でも何を言いたいのかはよくわからない。しかし今ここにある感情として、ただただゲーマーとして「悔しい」し「歯痒い」し「もっとできるはずだ」と思っているのだ。驚くべきことに。

「ゲーマーとして」?

何だろう、それは。

 

一般的にはただ凡庸であることに価値があるとはあまり言わない

ところで、ビデオゲームの分野にも胸を張って語ることができる武勇伝というものが少なからず存在する。

あまりにも狭い世界の武勇伝であると思っていたのだが、今ではビデオゲーム業界自体がビッグバンよろしく急激に拡がり続けており、SNSでは、レトロゲームコレクターであるとか、対戦ゲームで強いチームを率いていたとか、ゲーセンではヒーローだったとか、まあとにかくそういう伝説的な人を目にする機会は多い。

そしてそういった人たちの生き生きとした動向を追うことはなかなか面白く、そしてまた追うからこそゲーマーとして歯痒い。

……そう、歯痒いのである。

では、おれは一流で、伝説的な、素晴らしい武勇伝を持つゲーマーに憧れているのか? いや、それはおそらく厳密に言うと違う。不思議と「あちら側」に行こう、行ってみたい、と思うことはほとんどない。

おれはおそらく、そういった人たちから何かしら不変の、人間的な、それこそ哲学や視野や熱量的なものを、あまりにも強烈に自分に還元したいと思っているだけなのかもしれない。

彼ら、彼女らからそういった「何か」を受け取り、応援し……それは、スポーツの分野であったり、芸術の分野であったり――そういったものに取り組む人たちやその作品に感応することとまったく変わりがないものだ。

そこにいる人間が紡ぐただ熱い情熱が、心を、魂を、これでもかと揺さぶり起こし、焦燥させるほど胸を焦がす。

何だ、これは、とは言ったものの、よく考えたらただ季節外れの熱中症だっただけかもしれない。

「ゲーマーとしての姿勢」は残念ながら凡庸、だがしかし、裏を返せばおれはビデオゲームにまだここまで熱くなれるのか!

ブロガーとしては凡庸どころか落第ですが、これからも熱に浮かされるままできる限りおれの目線で思ったことを書いていきたいです。よろしくね。

CoD:WW2開戦前夜――CoDにおける我々初心者の立場について

最後に生き残った虫だけが力を持つ

蠱毒(こどく)。古代中国における呪術。

多くの虫を同じ容器の中に放り込み、最後の一匹になるまで闘わせる。そしてその最後の虫、たった一匹だけ生き残ったその虫は、民族の中で神霊として祀られるという。

……そう、対戦ゲームにおいての初心者は、この同じ容器に入れられた虫に近い。

大抵の人は何べんやってもまったく勝てなくて、怒ったり、むなしくなったり、最後にはつまらぬ時間の無駄だ、 と辞めてしまう。しかし一部の強者たちは、そんな苦労など知らぬとばかりにすり抜けるように勝ち上っていく。

食うものと食われるもの。この世どころかゲームですらも弱肉強食なのだ。

……ただ虫と違うところは、食われても次あるということ。力があるから残るのか。残るから力がつくのか。できれば後者の可能性もあると信じたい。継続は力なり。そう信じて。

 

誰だって蠱毒……いや孤独な初心者のころがあったはず

僕が『CoD:IW』にて初めてCoDシリーズに触れて一年が経つ。

2016年春、『バトルフィールド4』のワンコインセールにて対戦FPSの門を叩いた僕は、とにかくあらゆるFPSを経験しようと話題になりそうなFPSを片っ端から買ったのだった。

オーバーウォッチ』、『レインボーシックスシージ』、『タイタンフォール2』、『バトルフィールド1』、そして『CoD:IW』だ。

CoDシリーズに触れた感想としては良くも悪くもシンプルな対戦FPSであったということ。

ブーストジャンプや壁走りなど縦の動きはあるものの、とにかく戦闘自体はシンプルに尽きる。一番人気があるモードが伝統のチームデスマッチであったこともその理由のひとつかもしれない。

マップも撃ち合い前提でタイトに練られており、BFで広いマップと大人数の群れの中でぼんやりとキルをあげていた僕はCoDで初めて撃ち合いのシビアさを知ったのだった。

立ち回りはもちろん、エイム力、反射神経、障害物を駆使しキャラクターの身体の一部を隠すだけで勝率が如実に変わってくること(もちろんBFでもそうなのであるがCoDはとにかくこれらがなければなかなか勝てなかった)。何よりも浮き彫りになる少人数チームの一員であるという責任感……

そしてスコアストリーク。デスすることなくスコアをあげ続けることで使用することができる強力な武器。強いものがより強くなっていくこのシステム。何回も相手にスコアとして食われては、自分自身は一度もスコアストリークを使うことなくマッチを終える。何度も心で仲間に「すまん」と謝った。

……初心者のうちは何より孤独である。暴言も受けた。強者は孤高だ。孤独ではない。『はじめの一歩』の鷹村も言っていた。

ということでおそらくこのシリーズ、人口が多いこともあって、ユーザー間でも初心者はそこまで望まれていないし、メーカー側も初心者を取り込む配慮という面ではあまり力を入れていない。ただ敗北だけが己に「生き残ってみせろ」と告げるのみだ。

初心者は心を強く持て!としか言いようがない気がするが……

 

でもウォーモードは命が軽く初心者向きかもしれない

いきなり前述の文章をひっくり返すわけだが、『CoD:WW2』は離れていったファンを取り戻すことを強く意識しているだけあって、より一層初心者置いてけぼりかと思いきや、新しいモードである「ウォーモード」はベータをやった限りではけっこう初心者向けだと思った。

「ウォーモード」は様々な目標を攻撃側・防衛側に別れてこなしていくモード。

制限時間内に目標を達成・阻止することだけが勝敗を分けるので、わりとデス前提で突っ込むことも大事であり、デスによって仲間に直接迷惑をかけることはあまりない。もちろんその間人数が減るのは痛手ではあるが。戦績にてキルレシオが表示されないことも良心的だ。

ただその代わり、『CoD:WW2』のシステム自体はかなり誤魔化しがきかない仕様となっている。

アクションがシンプルになったので個人技として光る部分は純粋に腕だけであり、より一層チームとしての立ち回りが大事になるかもしれない。

とにかく徹頭徹尾お手本のようにシンプルなFPS、それが『CoD:WW2』。初心者は揉まれてみる価値があるのではないだろうか。僕も揉まれます。

 

旅に出よう! カタルーニャ独立騒動に桃鉄とドカポンを想う

社長のみなさーん! 10月ですよ~!!

いや、社長ではない。ただ10月があるだけだ(ストア派哲学)

……先日より世間ではカタルーニャ独立関連のイザコザがあって、僕もネットであれこれと目まぐるしく流れてくる情報をなんとなく眺めていたのだけれど、そのうちにちょっと驚くくらい自分はスペインという国を今までまともに意識したことがなかったということに気づいた。

そんな僕を尻目に、ネットではプロのジャーナリストから知識人、そして一般の人まで、多くの人々がスペインとカタルーニャに関するあらゆる情報を出し合い、議論や想いに更けっていた。

その情報の中で僕が目をひかれたのはカタルーニャの街並みを写した写真だった。写真に写った街並みはどれもとても美しく、鮮やかな色と活気に満ちていた。中でも僕が特に心を打たれたのはガウディ建築だ。

「ガウディなら『ギャラリーフェイク』で読んだことがあるぜ。サグラダ・ファミリアの人だろ?」

……スペインやカタルーニャの膨大な情報に触れた末に、結局そんなことしか出てこない自分を本当に恥ずかしく思った。いつだって僕は何かに紐付けられた情報しか知らず、リアルを知らないのだ。 

僕にとって他にスペインと言ったらなんだろう? 無敵艦隊? サッカー? バル?

……そうだ、バルだ。いやバルログだ。スペインといったらバルログじゃないか。バルログステージの、一面に張り巡らされた網の隙間から見た景色が僕のスペインの全てだ。踊る女性。楽器を奏でるおじさんたち。アップテンポなBGM。ひとえに情熱。そしてフライングバルセロナ……ヒョー!

想いは遠く遥か彼方。しかし体は来る日も来る日もドアにインしてゲーム、ゲーム、ゲーム……

 

正直、ドカポン派だった

もちろん『桃鉄』を知ってはいた。むしろ『ドカポン』よりも知っていた。一般的な知名度もおそらく『ドカポン』より『桃鉄』のほうが高いはずだ。

桃鉄』が家にいながらにして旅を楽しめるボードゲームだとしたら、『ドカポン』は『桃鉄』にRPG要素を足して旅要素を引いたようなゲームで、道中モンスターを倒しながらレベルを上げ、町を支配する「ビッグモンスター」を倒していく流れとなる。

しかし「ビッグモンスター」を倒すこと自体が最終的な目的ではなく、最終的な目的は「ゲーム終了の時点で他の勇者よりも1Gでも多く資産を持っていること」。「ビッグモンスター」を倒して代わりに自分が町を統治し、各地の町から税金を集めていくことは、他の勇者を最終的に出し抜くためのひとつの方法でしかないのだ。

しかし『桃鉄』が日本地理や文化や名産品をワイワイ楽しみながら学べる知的なゲームだとしたら、『ドカポン』はそれに比べあまりにも失うものの方が多かったように思う。

桃鉄』ではボンビーを介して行われる他プレイヤーへの攻撃が、『ドカポン』では戦闘という直接的なプレイヤーの意思と力でもって行われる。これが今でも『ドカポン』が「友情破壊ゲーム」と伝説的に語り継がれる由縁だ。小さいころ、そんなものに僕らはのめり込んだのだ。

桃鉄とかぬるいっしょ。やるならドカポンでしょ」

……『ドカポン』と出会ってかなりの日数が経っていたけど、僕は友人が言ったこのひとことのせいで「実は桃鉄の方はやったことないんだよね」と、何となく言い出せずにいた。

 

復興、それもまた、痛みを伴うけれど

ようやく『桃鉄』初プレイにありついたころには、『ドカポン』と出会ってからもう5年ほど経っていた。小学生だった僕は中学生になった。

そして念願の初プレイの『桃鉄』は、ぬるいなんてもんじゃなく、激アツだった。アツすぎてヤバかった。ヤバい。ホントヤバい。『桃鉄』ヤバすぎる。『ドカポン』が友情破壊ゲームならこちらは語彙破壊ゲームである。

……何がヤバかったって、それはもうとにかく鹿児島である。

目的地が鹿児島になり、熾烈な争いの末僕は首尾よく一番乗りでゴールした。上出来だ。そこまでは良かった。ここぞとばかりに一番乗りの賞金を使って物件を買い漁る。まあ、妥当な判断だ。

……が、噴火である。

桜島、噴火。物件、損害。なんとか復興。

桜島、噴火。物件、損害。なんとか復興。

短期間で計7回ほど。

……壊れてるんじゃねーかこのゲーム。何だよこれ。『ドカポン』の友情破壊以上の悪意をプログラムが仕掛けてくるのかよ。なんでこんなに噴火するんだよ。日本で火山がそんなに頻繁に噴火してるわけねーだろ。……って思って後日調べてみたらしてんの。マジで。桜島。噴火。頻繁に。なにそれ。ヤバい。鹿児島ヤバい。火山大国日本ヤバい。いや本当にリアルの鹿児島ではどうやって対策してんだよって首かしげちゃったよ。

……まあ、中学になって本格的に地理を習ってるのに鹿児島の現状すら知らなかったんだから、今スペインを知らなくてもしょうがないじゃん。本当に俺はダメ!あーダメだダメだ!解散!

この1ヶ月ゲームラジオに挑戦してたって話

えー今回はね、えーブログを更新しなかった理由について語っていくわけなんですけども

はい!どうもこんにちは!

今回語っていく話はね、ゲームラジオをやっていきたいって話なんですけど。

それというのもね、実は僕YouTubeにチャンネルを持ってまして、そこでテロップを使ってゲーム動画を出したりしてたんですよね。

そしたらそれを見た古い友人に、「絶対喋ったほうがいい、テロップとかダメ、つまらなくても喋ったほうがいい」というような指摘を受けましてね、どうしたもんかなぁと思ったんですけど、やっぱりたとえ友人でも見てくれている人の指摘っていうのはできるだけ真摯に受けとりたくなるものなんで。

 

だからもうね、それからは練習ですよ、練習。

車の中でひとりで練習するんですよ。「はい!どうもこんにちは!」って。おじさんが。

もう最初のうちはその一言だけでなんか空気に耐えられなくなってくるんですよ。おかしな話でしょ、自分しかいない空間で自分で自分を追い込んでるんですよ。「はい!どうもこんにちは!」って言った瞬間にこの世の終わりみたいな静寂が漂ってくるんですよ。ああ、これはやられるな、身を切ってるな、っていう深淵が。

ゲーム実況者の方々はみんなああいう深淵をのぞいてるのかなぁ、って思うとなんかちょっと感慨深いですよね。

 

で、どうにかしてその最初の「はい!どうもこんにちは!」を乗り切ったんですけど、やっぱりどうしても上手くいかないというか、関なんですよね。関。都市伝説の。関さんみたいな口調になってくるんですよ。

僕の友人に都市伝説の関さんの口調をめちゃくちゃ嫌ってるやつがいて、マジで親でもやられたのかなって思うくらい嫌ってるんですけど、そんなことを思いながら喋ってたらなんかどんどん関になってくる自分がちょっと面白くなってきちゃって、今度はまた全然喋れない。

もうこのあたりで実は「日常会話すらまともに喋れないからブログ書いてたんだわ」ってことに気づいてきたんだけど、もう後戻りはできないというか、深淵の魔力というものにどんどんとりつかれてきちゃって、何だかんだ頑張ってたんですよね、この1ヶ月。

 

で、内容というのが、僕自身ゲームが下手なのもあるんで、どちらかというと実況よりもラジオみたいなのがやりたいんですよね。

僕もゲーム実況みたいなのはたまに見るんですけど、ガッツリと攻略やスーパープレイをやっていく動画よりも、雑談というか、「ゲーム業界って今こんなんだよね」みたいな内容をラジオがわりに聞くのが好きなんで、そういう路線をやっていきたいんですよね。

そんで今直面してる問題が「ブログと題材かぶってるじゃん問題」なんですよね。結局それって今までブログでやってたことなんですよ。マジどーすんだこれ。まあでもやる。百々のつまりやるけどね。俺は。いつか。

レイⅡはインクリングの夢を見るか?

人生において、密かなこだわりを見出だすことができる何かをもつことは幸せである。さらにそのこだわりを共有できる誰かがそばにいることは最上だ。

彼は何故か『世界まる見えテレビ特捜部』と『木曜洋画劇場』が満載に録画された自作ビデオを大量に所有していた。

『丸見え』が放送される月曜日と、『木曜洋画劇場』が放送される木曜日の朝は欠かさず新聞のラテ欄をチェックし、面白そうな企画や映画だと感じたら必ず録画してから中学校へ向かうのだという。

学校へ行こう!』『めちゃイケ』『うたばん』『アサヤン』といった番組が大人気だった中で、『丸見え』や『木曜洋画劇場』に夢中になり、あまつさえ自作ビデオを作ってコレクションしている、というのは、当時の中学生としてはかなり渋い行動だった。

僕はそんな彼の話を聞いてつくづく変な奴だと思ったものだが、当時から何に関しても周囲に流されるままで特に強いこだわりをもたなかった僕にとって、とても魅力的に映った部分でもあった。

「この前のレスキュー911はすごかったぞ……!」

クリフハンガー初めて見たけど後半の展開めちゃくちゃすぎてヤバイでしょ……!」

彼の気さくな人柄がにじみ出た話し方は、僕にとって自然なプレゼンテーションになっていた。聞いているとなんとなくワクワクしてきて、ついつい普段はあまり見ない『丸見え』や『木曜洋画劇場』もチェックしてしまうのだ。

そしてそれはゲームにおいてもそうだった。Nintendo64カスタムロボV2』も彼にプレゼンテーションしてもらったゲームのひとつである。数あるパーツの中から自由にロボットをカスタマイズして戦うロボットアクションゲーム。

彼や共通の友人と集まって対戦する『カスタムロボV2』は、文字通り時を忘れるほど楽しくて、気づけば僕も少ないおこづかいをはたいてソフトを買ってしまっていた。

カスタムロボV2』のために集まり、『丸見え』や『木曜洋画劇場』の話をはさみながら暮れていく放課後は、すぐ過ぎ去ってしまう楽しい時間でありながらも、どこか無限に引き伸ばされたような不思議な時間感覚があった。おそらくそれは青春時代特有の感覚だ。

しかしみんなで夢中になったそんな『カスタムロボV2』もまた、一般的な評価で言えば「質は高いものの大人気には至らなかった、任天堂の輝かしい時代の影に埋もれた渋い良作ゲーム」ぐらいの評価と言わざるを得なかった。

 

大人気の『スプラトゥーン』に『カスタムロボ』の面影を見た

先日『Nintendo switch』と『スプラトゥーン2』を買った。

前から気になっていたゲームではあったのだが、購入の直接的な動機は「PS4でよく一緒にプレイするフレンドが買ったから僕も勢いで買った」ということになる(未だにゲームをプレゼンテーションしてくれる人が周りにいることはとてつもない幸せだ)。

そしてこの『スプラトゥーン2』というゲーム、買う前は「ポップでキュートなキャラクターがステージをイカに多く塗り合うのかを競うゲームなんだろ?」ぐらいの認識でいたのだが、どうもただそれだけではないようだ。

操作キャラクターである「インクリング」というイカは、ヒトの形態とイカの形態を目まぐるしく変身しながら戦うことになる。

ヒトの形態のときは様々なブキを使ってステージを塗ったり相手の邪魔をすることができるが、移動速度が遅い。逆にイカの形態のときは、攻撃行動がまったくできない代わりに、自らが塗ったインクの中に「センプク」し、高速でステージ内を移動することができるのだ。さらに「センプク」してる間は姿が見えづらいため、 陣地を広げようと安易にブキを片手にヒト形態で近づいてきた相手を奇襲することもできる。

……そしてゲームに慣れてくると薄々わかってくるのであるが、おそらく『スプラトゥーン』というゲームの肝は、この「センプク」という行動にある。

お互いのチームがお互いに陣地を拡げようとステージを塗り合っていくわけだから、当然陣地がぶつかる地点に前線ができる。そしてその前線を上げる動きの中に「センプク」を中心とした駆け引きがあるわけだ。

こう書いてしまうとただ「センプクの待ちが強い」ゲームであると言えそうなのだが、その「待ち」を崩すためのサブブキやスペシャル行動はとても強力かつ個性的なものが揃っており、前線付近でただ相手が顔を出すのを待っているだけでは逆にすぐに追い込まれてしまう。

そしてサブブキを使いながら追い込んだり追い込まれたりする中でイカにメインのブキを当てるか? という駆け引きはまさに――あの『カスタムロボV2』の駆け引きそのものではないか!

カスタムロボV2』もメインのガンは癖の強いものが多く、相手のガン攻撃を避けてからその硬直に自らのガンを差しこんでいく行動が強かった。基本的に自分から攻めるにはボムやポッドで相手を追い込みつつ安全に攻めていかなくてはならない。

……僕は年甲斐もなく感動してしまった。

あれだけ面白かったのにいつの間にか終了してしまった『カスタムロボ』というIPが、『スプラトゥーン』の中に形を変えて生き続けているということに。

それは『スプラトゥーン』の戦略や戦闘システムを支える数多のミームの中で僕が勘違い的に発見した、面影と言えるだけの部分なのかもしれないが。

 

オンラインゲームは知らないうちに、そして当たり前に、昔の友人ともしかしたら一緒にゲームをプレイしているかもしれないという奇跡を有する

『丸見え』『木曜洋画劇場』そして『カスタムロボV2』……

僕は彼のプレゼンテーションを受けて、彼が愛するものについては大体のことを知っていたのだけれど、彼自身のことについては驚くほど何も知らなかった。また、彼もほとんど自身のことについては何も語ろうとしなかった。

気づいたら彼は学区内で一番の進学校に進んでいた。思えば彼はたしかに文武両道で、僕らと遊ばない日の放課後はもちろん、休みの日までも部活に明け暮れ(柔道の大会で何度も入賞していた)、そのあと夜遅くまで学習塾にも通っていたのだろう。

きっと彼は周りに比べて変に渋いこだわりをもっていたわけではなくて、ただ単に僕のように周りに流されている暇さえもなかっただけなのだと思う。限られた時間で自分が好きなものを精一杯愛していただけなのだ。そしてきっと少しだけ空いた時間に、僕らと遊んでくれていた。

高校生になると、彼はもう引っ越してこの町からはいなくなった、という噂が流れた。実際に中学校卒業以来、一度も会っていない。地元で行われた成人式でも会うことはできなかった。

そして彼の愛した『丸見え』も、『木曜洋画劇場』も、『カスタムロボ』も、気づいたらひっそりと全部終わってしまっていた。

……オンラインゲームをプレイしていると、不意に

「ある時期から音信不通になってしまった友人と、この中でお互いに気づかないまま対戦している可能性は、0ではないんだよな」

と思うことがある。

彼はどうだろう。

何となく大人になってもゲームをプレイし続けているようなタイプとは思えないが、それでももしかしたら、子どもにせがまれて一緒に『スプラトゥーン』ぐらいならプレイしているかもしれない。

……いや、ひょっとしたらむしろ逆で、子どもに対して

「それでは日本の大人気ゲームから、今夜は『スプラトゥーン』をご覧いただこう!」

とかプレゼンテーションしているかもしれないな。『丸見え』風に。

……本当にそんな可能性だって、0ではないのだ。

セーラームーンのベルトスクロールアクションゲームを妹から取り上げてまでプレイしていたやつら

男の子はみんな亜美ちゃん派だった。でも心には煮え切らない仮面をつけていた。タキシードは着ないまでも。

「みんな、セーラームーンの中で誰が一番好き?」

小学生のころ、J君の家で遊んでいると、J君のお母さんが不意に僕らに尋ねてきた。

僕は一瞬どぎまぎして「……セーラームーン」と小声で答えた。目一杯に照れていた。続いてS君も小声で「セーラームーン」。

そんな僕らの受け答えを聞いたあと、J君は大声ではっきりと「俺は亜美ちゃん!」と言った。

……実は僕も亜美ちゃん派だった。でも恥ずかしかったから言えなかった。男なのに『セーラームーン』に詳しいと思われるのがすごく嫌だったのだ。

「『セーラームーン』という作品であるからにはセーラームーンってやつはいるんじゃないの? 俺は詳しくないから知らないけど」

そんな気持ちから出た精一杯の虚勢だった。S君も恐らくそうだったのだと思う。でも僕らはそのときタイミング悪く『セーラームーン』のゲームをやっていた。

J君が従妹から取り上げたという『セーラームーン』のベルトスクロールアクションゲームだ。

画面の中ではJ君の使うマーキュリーが敵を延々とパンチでハメていた。S君の使うジュピターはあまりハメるまでもなく敵をなぎ倒していた。明らかにジュピターは強キャラだった。でも僕らがまこちゃんの女の子らしい魅力に気づくのはもう少し大人になってからだ。

 

ファイナルファイトの亡霊は美少女戦士までをも肉弾戦士に変えた

ファイナルファイト』というゲームがある。ゲーマーなら知らない人はまずいないであろう、ベルトスクロールアクションブームを象徴するアーケードゲームだ。

個性豊かな主人公たちは襲いかかる敵をパンチやキック、投げや必殺技を駆使して撃退し、(主に)左から右へとステージをひたすら進んでいく。

マルチプレイによる協力もアツい。僕らが遊んだのは専らスーパーファミコンの家庭用で、3人以上で遊ぶときは「死んだら交代」。自キャラの攻撃で味方を巻き込んではよく喧嘩になった。

時代はアーケードゲーム全盛。『ファイナルファイト』が当たってからはベルトスクロールアクションがとにかく量産されていた。

そして何をトチ狂ったのか小さな女の子が対象のハズの『セーラームーン』さえもベルトスクロールアクションにしてしまったのである。女の子たちもまさかセーラームーンでバッチバチの肉弾戦ゲームをやらされるとは思わなかったはずだ。

 

女の子のごっこ遊びを見ていると、マーズが取り合いになったり、ジュピターが余ったり、やっぱりムーンが人気だったり、ジュピターが余ったり、ジュピターが余ったりしていた

多分、このゲームは純粋にベルトスクロールアクションゲームとしてもけっこう良くできていたのだと思う。

気づいたら今までなんだかんだ取り上げても最後には気前よくソフトを貸してくれていたJ君の従妹もこの肉弾戦ゲームに熱中してしまったようで、なかなか貸してくれなくなってしまった。

僕らは飢えていた。ベルトスクロールアクションなら他にいくらでもあった。友人がすぐに用意できるソフトだけで『タートルズ』、『ダブルドラゴン』、そして『ファイナルファイト』……でももう『セーラームーン』じゃなくてはダメだった。

「萌え」とかでもない。照れくささの中で興じる秘密の遊びとかでもない。ゲームとしての、肉弾戦士としての『セーラームーン』がひたすらに恋しかった。

……そんなとき、高学年のやつがついに妹からソフトを取り上げることに成功したとの情報が入ってきた。まことにもって恐ろしい話である。

僕らはさっそく高学年に顔が聞くやつを中心に5人ほどで家に押し掛け、念願の『セーラームーン』に興じたのである。

そこからはガチだった。ガチすぎて、家にひとつもベルトスクロールアクションがなかった僕はすぐに下手くそ認定されてしまいプレイにまぜてもらえなくなった。それでも僕は熱心に友人たちが操る肉弾戦士たちを見守った。

明らかにパワーがあるジュピターとリーチが長いヴィーナスが頭ひとつ抜けていた。もう亜美ちゃんが好きどころではなかった。クリアのためのキャラはこの二人で確定だ。それでも結局僕らは夕方になってもクリアすることができなかったわけだけど。

……ブラウン管を見ることに疲れた僕は、夕焼けに暮れていく窓の外でソフトを取られた妹とその友達がセーラームーンごっこをやっているところをボーッと見つめていた。

マーズとムーンがすぐに取り合いになり、ややあって彼女たちはマーキュリーやヴィーナスに妥協した。ジュピターは誰もやりたがらなかった。

僕はゲームとは逆なんだな、と思った。

それからは夢から覚めたように『セーラームーン』のゲームはやらなくなってしまった。多分他に熱中するゲームができたのだと思う。

それでも僕は、『セーラームーン』というとこの出来事を真っ先に思い出す。

延々とパンチハメを繰り出す肉弾美少女戦士たちを。幼少のころの、よくわからない思い出だ。